日本人が外国人という世界はもうない

  • 2021年5月13日
  • 2021年5月3日
  • ブログ
  • 24View
  • 0件

外国や外国人という話を鎖国日本という形で推し進めていたことがかつてあった。外交という話に及ばない(低いと言われなくなった)ポジションで多数派の庶民というものを想定するためであった。そいつ一人が外国人だ!というスタンスは、平和な形で友人関係でも結べれば問題はなかったのだが、平和に入れない!という現在の日本国民の総意からすると恐ろしい暴力や拷問をSM変態で誤魔化せると思い込む知恵足らずの様相だ。クワバラクワバラ。

日本人が外国人

自分とっては、日本人が外国人なのだなとも思うことができなくなったのは、1995年のある日のことであった。図に乗り過ぎた日本人というものが、介護というもので悪戯の振れ幅を振り切り過ぎ普通でなくなってしまった。逃げるしかないと思った。悦に入る日本人は、チョーセンしか知らない。チョーセンに勝てるはずだという思い込みが日本人というものを増長させ過ぎたのだ。勝てなかったら何したっていいはずだ!と暴力に出る日本人というものが赤から様になった。

外国人

平和というものの素晴らしいことを外国で感動するのだ。日本には、もう暴力しかないのか!?と思い外国を放浪したり、外国で暮らしたという話をその頃からよく聞くようになった。話題になった国に行ってとにかく「その時」というものを体験するんだ!と子供のように仕事を休んで放浪するという話を聞いたことがある。その時ばかりの感動体験をしたいんだという話らしい。暴力で出会いはないだろう?それで、外国に行くんのだという。

ハッピー

ハッピーな心持ちで集まれば問題はなかった。ダンスばかりをしていたので、陽気な音楽と踊りや笑いやお酒やそんな話ばかりだった。場末のダンサーが!?と日本では、信じがたいような屈辱が起きるらしいのだが、ハッピーな心持ちで踊り続けているのが、平和の恩恵というものだと思っていたのだ。成功の兆しはない。踊り続けることがハッピーだ!踊り続けることで体が綺麗になるのではないかと思っていた。柔らかくなり綺麗になると思ったのだ。

エロにハッピーや平和はない

男と寝ないで女とは言えない。など男と寝ないと生きられないという話を昔、フランス人に言われたことが尾を引いていた。子供だったからか、男と寝るという話をどう考えても受け入れられなかった。成功のために幸福は溢れんばかりだったが、男と寝る話のオカシイことと言ったら!日本人の方が更に堅いというのは、当時も変わらず、セックスというオカシイ話を無理強いする人を精神病院に入れることができた。違うのではない。精神病院的エロも明るみに出たのだ。

男がいない人生なんて!?

だが、そうしたフランス人の影響は年々色濃いものになり、ベッドシーンのない人生なんてあり得ないじゃない!?という話ばかりが増えていった。男がいない人生なんてあり得ない!?という話が極端な不幸話になっていた。それで、本当に男が一人できるだけでその不幸話じゃなくなるのか!?と思い、結婚したのである。国も認める自分の男である。美しい恋の話だろうが汚い男との揉め事の話だろうが、自分の男の話でしかないのである。変わらないのか?そんなわけないだろう?

日本人が外国人
最新情報をチェックしよう!